発見と調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 14:31 UTC 版)
1916年(大正5年)、指宿村出身で、旧制志布志中学校の生徒・西牟田盛健が縄文土器と弥生土器を拾ったことが遺跡発見のきっかけである。志布志中学校を訪れた喜田貞吉がその土器を実見し、鹿児島県内の考古学者・山崎五十麿に調査を依頼した結果、縄文土器と弥生土器が出土する遺跡の存在が確認され、喜田から情報を得た濱田耕作と長谷部言人が、1918年(大正7年)と1919年(大正8年)に現地で発掘調査を実施した。
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