石野遺跡の発見と調査の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 17:50 UTC 版)
「石野遺跡」の記事における「石野遺跡の発見と調査の経緯」の解説
平成2年度の調査では、かつて集落があった石野村と西村の跡についての調査とともに、大正時代に島内のサトウキビ畑で発見されたと伝えられる磨製石斧の発見場所を探ることを目的として石野村付近のサトウキビ畑跡の調査が行われたが遺跡の発見には至らなかった。 平成3年度の調査時、石野村周囲に調査範囲を広めていく中で、石野村裏手の斜面に巨石の周囲に磨石、素焼きの土器、貝片などが散乱した遺跡が発見され、石野遺跡と命名された。この時の調査では線刻画が描かれた巨石とその周囲に積石で造られた遺構、そして巨石から北西側数十メートルの場所に造られた祭壇状の遺構とその周囲にある積石で造られた遺構の存在などが明らかとなった。そして巨石と祭壇状の遺構の周囲からは土器、貝製品、石器が採集された。 石野遺跡の発見に伴い、東京都教育委員会では平成5年度から2年計画で石野遺跡の調査を実施することになった。そして1993年(平成5年)7月に初年度の調査が行われ、多くの土器、石器などの遺物が採集され、遺跡の状態もかなり明らかとなった。しかし調査途中の7月14日、調査隊員のうち2名が行方不明となり、調査は中断された。行方不明となった2名は水死体となって発見された。この事件の影響により、翌年に予定されていた調査は中止され、その後現在に至るまで石野遺跡の再調査は行なわれていない。
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