石野遺跡の特徴と謎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 17:50 UTC 版)
打製石斧などが採取された、父島の大根山遺跡が破壊されて、現状を留めていないため、北硫黄島の石野遺跡は、現在知られている唯一の確実な小笠原諸島内の先史時代の遺跡である。 調査中に発生した死亡事故の影響もあり、石野遺跡はまだその全貌が明らかになっていないが、大陸や日本本土から遠く離れた北硫黄島にあり、巨石で造られた特徴的な石列や石組、そして数多く採取された土器や石器などから、注目すべき遺跡である。巨石を用いた文化は、マリアナ諸島を始め太平洋各地で見ることができる文化であり、またシャコガイやサンゴが重要性を持つ文化は、沖縄方面からの文化の流入が想定される。 石野遺跡の最大の謎は、今のところその文化の源流がはっきりしていない点である。これまでのところ、沖縄方面からの影響が強いとの説が唱えられており、またマリアナ諸島からの影響も指摘されている。しかし現状では石野遺跡の全貌が明らかになっていないこともあり、いずれも定説とはなっていない。また縄文文化は伊豆諸島の八丈島まで広まっていることが明らかになっており、日本本土からの影響の有無についても解明されていない。 また、北硫黄島で大正時代に発見されたとされる磨製石斧が、これまで石野遺跡から全く発見されていないことも大きな謎となっている。マリアナ諸島の文化と関連が深いとされる同様の石斧は父島、そして八丈島でも発見されており、かなりの広がりを持った文化圏の産物であることが想定されているが、この磨製石斧を作った文化と石野遺跡を作った文化の関係は、現在のところ全く明らかにされていない。
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