病と退任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 18:02 UTC 版)
1981年8月7日、ローマのフィウミチーノ空港に到着したアルペは発作に襲われた。アルペは右半身が麻痺し、言葉が話し辛くなった。症状は後に重くなり、完全に話せなくなった。彼はローマ教皇庁内で療養し、眼差しや指を使い仲のよいイエズス会士とのみコミュニケーションがとれた。アルペは1983年にニカラグアで開かれた第33回イエズス会総会で総長の退任を余儀なくされた。アルペは生前に退任した最初の総長となった。 総会は後に枢機卿となる教皇特使のパオロ・デッザにより開かれ、イエズス会士には教皇庁の干渉への反発もあった。9月3日アルペの退任は承認され、ペーター・ハンス・コルヴェンバッハ(英語版)が後任に選ばれた。 総会の開会式にはアルペも参加し、自らの書いた祈りが読み上げられた。「私は何時にもまして神のみ手のうちにある。これは私が若い頃から望んでいたことだ。しかし今ここに違いがある。主導権は全て神にある。これは実際にこれまで私が全て神のみ手の内にあると霊的に経験してきたことだ」 10年間の療養期間に会のために祈り、ヨハネ・パウロ2世からも厚意を受けた。1991年2月5日アルペは教皇庁内で84歳で帰天した。ペドロ・アルペの葬儀はジェズ教会で行われ、参列者で広場があふれた。彼の遺体は当初カンポ・ヴェラノのイエズス会博物館に収められ、のちジェズ教会の付属聖堂に収められた。
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