病と神癒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 08:55 UTC 版)
結婚直後の1912年(明治45年)3月頃に腸結核を患い危篤になるが、薬を飲まずに神に頼って癒される。1912年(明治45年)7月に明治天皇が崩御した頃に、宮城県の実家の今井家に継子の豊を連れて精神的疲労のために静養に行く。 あやめの精神的疲労のために、帰京をあやぶんだ親戚もいた。その頃夫の重治が急性リューマチに罹り関節痛で病床に伏せると、実家より東京に帰り夫の看病をした。夫の看病をしているうちに、あやめも下腹部に痛みを訴えて病の床に伏せった。療養のために夫と共に熱海温泉に約1ヶ月滞在して、帰京した。その後、出産するが死産になる。その後腸結核と診断される。 絶望的な病状に陥るが、周囲の人の祈りにより二週間後奇跡的に回復する。後にこの経験を『死の陰の谷を脱出す』という題で聖潔の友で発表する。さらに、流産が原因で5年後の1917年(大正6年)に腹膜炎になり衰弱したが、丹羽平三郎、小原十三司らと膏を注いで祈ったところ癒された。
※この「病と神癒」の解説は、「中田あやめ」の解説の一部です。
「病と神癒」を含む「中田あやめ」の記事については、「中田あやめ」の概要を参照ください。
- 病と神癒のページへのリンク