病による修道生活の中断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/26 08:01 UTC 版)
「ラファエル・アルナイス・バロン」の記事における「病による修道生活の中断」の解説
入会までの彼の生活は、快活で健康にほとんど問題ないものであった。しかし、入会から半年足らずで、若年性糖尿病と診断される。当時としては、不治の病である。 1934年5月マリア・ラファエル修練者は、重体に陥り自宅に帰され、食事療法とインスリン注射による療養生活に入る。このときから、約1年半の闘病生活が始まる。病の中で、彼の神への感覚は、研ぎ澄まされる。親族への手紙の中で、彼はこう書いている。 多くの苦しみのうちに、神が少しだけ現れてくださるとき、それが一瞬であっても、ちょうど熱で水が沸騰するように、心は愛で動きます。その後再び、十字架に戻るとしても、それはよいことです。 1935年12月の手紙には、次のように記す。 海の中に一粒の塩を落とせば溶けます。…砂を落としたらどうでしょう。溶けません。…私たちは、一粒の塩のように、神に溶け、神の中消えるように努めましょう。…私がもう溶けているとは思わないでください。確かにそうなっていません。私は、砂粒で、真っ黒いものです。 1935年12月病状が回復すると、伯父レオポルドのアビラの別荘で静養に入ったが、そこから修道院への再入会を申請した。大修道院長に宛て、彼はこのように書いた。まるで近いうちに起きる死を見通したかのような内容である。 ただ神の傍らにいること以外になにも望んでいない貧しい私を受け入れてくださるようにお願いいたします。私は、修道司祭になるに値しません。ミサを立てることは、主よ、近いうちに亡くなって、あなたにお会いできるのですから、ミサをたてなくてもいいです。 1936年1月修道院は、彼の再入会を許した。これは、特別な計らいであった。修道院では、修練者より下の献身者として、病室で暮らす「宿泊者」の扱いであった。マリア・ラファエルの家族は、修道院にその費用を負担することを申し出た。
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