番組放送前後(2001)
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「NHK番組改変問題」の記事における「番組放送前後(2001)」の解説
2001年1月27日、西村修平(当時「維新政党・新風」代表)、日本世論の会、大日本愛国党がNHKに押しかけ、女性国際戦犯法廷は「反日・偏向」の政治集会だとして、放送中止を求める抗議行動を行った(街宣車による抗議あり)。 2001年1月28日、秦郁彦が取材を受ける(秦は番組内で「法廷」の様々な問題を指摘して批判を行う)。 2001年1月30日、番組放送。 2001年2月2日、中川昭一が伊藤律子・番組制作局長に会い、この番組について「実は内部で色々と番組を今検討している最中です」との報告を受ける。 2001年2月6日、VAWW-NETジャパンが番組内容について、「主催団体名や肝心の判決内容が一切紹介されなかったばかりか、法廷に対する不正確な誹謗や批判が一方的に放送された」とする公開質問状をNHKに渡す。 2001年2月26日号の週刊新潮が「NHKが困惑する特番『戦争をどう裁くか』騒動」なる記事を掲載。記事中では、放送時間が第2回だけ40分に短縮されたことや、放送直前の右翼の抗議行動、秦への急な取材、伊藤律子・番組制作局長が自民の大物議員に呼び出され釘を刺されたという噂などを取り上げ、「もしNHKが “外圧”に屈して番組内容を差し替えたとしたら、公共放送として大変な汚点だ」と批判。 VAWW-NETジャパンは、NHKが当初の企画通りに放送しなかったとして、NHKを訴えた。NHKは外注先(孫請けサイド)の制作に問題があるとも主張し、外注先会社はNHK制作者から提示された企画だとしてここでも争いがあった。
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