甲斐神社 (大和郡山市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/09 06:16 UTC 版)
甲斐神社 | |
---|---|
所在地 | 奈良県大和郡山市田中町234 |
位置 | 北緯34度38分19.4秒 東経135度46分16.3秒座標: 北緯34度38分19.4秒 東経135度46分16.3秒 |
主祭神 | 天児屋命 |
社格等 | 旧村社 |
別名 | 甲斐明神、田中神社 |
甲斐神社(かいじんじゃ)は、奈良県大和郡山市田中町にある神社。旧社格は村社[1]。
概要
大和郡山市田中町(旧・添下郡片桐村大字田中[2])に所在する。
『日本三代実録』の貞観7年(865年)4月25日の条に「授大和國無位田中神從五位下(大和国無位田中神に従五位下を授く)」[3]との記述があり、『大和志』は、この「田中神」を、「貞観七年四月授從五位下 田中村今稱甲斐明神」[4]として当社に比定している[1][5][注釈 1]。
当社の森は「田中の杜」と呼ばれ[6]、名勝の地とされてきた[2]。
鎌倉時代の勅撰和歌集『玉葉和歌集』に載せられた、藤原為家の歌にも「山きはの田中のもりに注連(しめ)はえて 今日里人は神まつるなり」[7]と、当社が詠まれている[2]。
また、神楽歌小前張のうゑつき(殖槻・埴舂)で、「うゑつきや 田中の森や もりやてふ かさのあぢが原に」[8]と歌われた「田中の森」を当社に比定する見解もある[1]。時代が下った江戸時代後期の歌人・熊谷直好も「植槻や田中のもりの秋祭 はつ穂のこさけ我酔にけり」の歌を詠み、これを歌集『浦の志保貝』に収載している[9]。
オンダ(御田)と呼ばれる田植の民俗行事が行われている神社の1つである[10]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 『奈良県の地名』469頁
- ^ a b c 『大和志料 上巻』449頁
- ^ 『六国史 巻九』249頁〔日本三代実録巻十〕
- ^ 『五畿内志 中巻』255頁〔大和志 三〕
- ^ 『角川日本地名大辞典』687頁
- ^ 『角川日本地名大辞典』1292頁
- ^ 『玉葉和歌集』344頁〔卷第十六 雜歌三〕
- ^ 『神楽歌評釋 國文評釋』90頁
- ^ 『浦の志保貝』104頁
- ^ 奈良県立民俗博物館だより38巻1号7頁
参考文献
- 『日本歴史地名大系 第30巻 奈良県の地名』(平凡社,1981)
- 奈良県 編『大和志料 上巻』(奈良県教育会,1914)
- 佐伯有義 編『六国史 巻九』(朝日新聞社,1940)
- 並河永ほか『五畿内志 中巻』(日本古典全集刊行会,1930)
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典29 奈良県』(角川書店、1990)
- 京極為兼ほか『玉葉和歌集』(岩波書店,1944)
- 千秋季隆 述『神楽歌評釋 國文評釋』(東京専門学校出版部,出版年不明)
- 熊谷直好『浦の志保貝』(共同出版社,1892)
|
- 甲斐神社_(大和郡山市)のページへのリンク