田代松意とは? わかりやすく解説

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たしろ‐しょうい【田代松意】

読み方:たしろしょうい

江戸前期俳人別号談林軒など。西山宗因門人江戸で談林十百韻(とっぴゃくいん)」を編む。編著談林軒端(のきば)の独活(うど)」「功用群鑑」など。生没年未詳


田代松意

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 01:38 UTC 版)

田代 松意(たしろ しょうい、生没年不詳)は、江戸時代前期に活躍した俳人[1][2]談林派の一人。名は秀延[1]、通称は新左衛門[3]、別号に談林軒(檀林軒とも表記される)、冬嶺堂等がある[2]

経歴・人物

幼年期の経歴についてはほとんど不明だが[3]、後に西山宗因から俳諧を学んでいる[1][2]。当時大坂で流行していた宗因の作風を踏まえた事で[4]1613年寛文13年)頃に江戸神田鍛冶町(現在の千代田区)に在住していたと伝えられ[3]、後に同地で松意と同じ談林派に属していた野口在色、三輪一鉄らと共に「俳諧談林」を結成した[1][3]

後に井原西鶴との共著等の多くの著書を刊行し[1]1675年延宝3年)[注釈 1]に師匠であった宗因の作風を踏襲した著書『談林十百韻[注釈 2]』を刊行すると、談林派における代表的な詩人となり名を馳せた[4]。その後の経歴についてもほとんど分かっていないが、晩年は俳諧から退いたとされている[4]。なお、松意の本姓は高木とされているが[1]、近年では誤りとされている[2]

主な著作物

主著

  • 『談林十百韻』- 俳諧撰集。全2冊、10巻からなり、在色、一鉄、小沢卜尺等談林派の9人の俳人の共著。
  • 『談林軒端の独活』- 1680年(延宝8年)刊行[3]
  • 『功用郡鑑』- 1681年天和元年)刊行[2][注釈 3]

その他の著書

  • 『夢助』- 1679年(延宝7年)刊行。

脚注

注釈

  1. ^ 1676年(延宝4年)とする説もある。
  2. ^ 談林十百韵とも表記される。
  3. ^ 1679年(延宝7年)とする説もある。

出典

  1. ^ a b c d e f デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『田代松意』- コトバンク
  2. ^ a b c d e ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(ブリタニカ・ジャパン)『田代松意』- コトバンク
  3. ^ a b c d e 世界大百科事典 第2版(平凡社)『松意』- コトバンク
  4. ^ a b c 日本大百科全書小学館)『松意』- コトバンク



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