用語に対する態度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/13 16:40 UTC 版)
ヨーロッパ系のニュージーランド人の、自分自身に当てはめた場合のパーケハーという言葉に対する態度は様々である。ヨーロッパ人としての祖先とは対照的に、ニュージーランドとのつながりを示すものとして心から歓迎する人もいる。この言葉に強く反対し、軽蔑的であるとか、部外者であるという意味があると主張している人もいるが、これはしばしばこの言葉の意味に関する誤った情報に基づいている。「パーケハー」というレッテルを貼られることで、自分たちの地位とニュージーランドとの生まれながらのつながりが危うくなると考える人もいる。1986年度国勢調査では、36,000人以上の回答者が「Pākehā(パーケハー)」などの提示された民族性を無視したり、「New Zealander(ニュージーランド人)」と記入したり、質問を完全に無視したりした。「NZ European or Pakeha(NZのヨーロッパ人/パケハ)」という選択肢が1996年度国勢調査で試しに作られたが、Statistics New Zealandが「一部の回答者の重大な副作用」と呼んだものを引いたことから、後の国勢調査では「ニュージーランドヨーロッパ」に置き換えられた。しかし、社会学者のPaul Spoonleyは、多くのPākehāはヨーロッパ人と同一視されないとして、新版を批判した。 ヨーロッパ系ニュージーランド人の間では、最近来た人たちとは対照的に、ニュージーランドの空間に属しているという主張を強調する行為として、マオリ語のtauiwi(「外国人」)と区別して、パーケハーという語が使われることもある。ニュージーランドに住む他者との関係において、民族性よりもむしろ国籍を強調したい人は、すべてのニュージーランド市民を単に「ニュージーランド人」または「キウイ」という口語で呼ぶことがある。 この語は、ニュージーランド最大の発行部数を誇る日刊紙『ザ・ニュージーランド・ヘラルド』のジャーナリストやコラムニストの間で広く使われている。歴史家のジューディス・ビニーは自分をPākehāと呼び、「これは最も単純で実用的な語だと思う。マオリが私たちにつけた名前だ。人々が考えているような軽蔑的な連想はなく、描写的な用語だ。ここに住んでいる人たちがくれた名前を持っているのはいいことだと思う。それが私だから」と語った。ニュージーランドの作家、歴史家のマイケル・キングは1985年に次のように書いている。「何かをパーケハーらしいと言うことは、一部の人々が言うように、ニュージーランドらしさを損なうことではない。それを強調するのだ」ドン・ブラッシュ、ジョン・キー、ヘレン・クラーク、テ・ウルロア・フラヴェルを含む政治的に幅広い層のニュージーランドの政治家が、この言葉を使っている。
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