生い立ちと初期の経歴(1910-1939)
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「ミシェル・アフラク」の記事における「生い立ちと初期の経歴(1910-1939)」の解説
アフラクは、1910年にダマスカスのギリシャ正教徒の中流家庭で生まれ、フランス統治下のシリアで西洋式の学校で教育を受けた。1929年、哲学を勉強するためパリのソルボンヌ大学に留学した。滞在中、アンリ・ベルクソンの作品に影響を受け、また、彼の長年の同志となるサラーフッディーン・アル=ビータールに知り合った。ソルボンヌ大学でアラブ学生連合を設立し、カール・マルクスの著作にも出会った。1932年にシリアに戻り、共産主義の活動家になったが、フランス共産党(FCP)に支持されているフランスのレオン・ブルム政権が、旧来の植民地政策を維持し始めた頃に、活動から離れた。アフラクやその仲間の活動家は、フランス共産党がフランス植民地の独立を支持すると信じていた。それ以降、アフラクは共産主義運動をソビエト連邦の道具として見なすようになった。 アントン・サーアデー(英語版)のシリア社会民族党の組織とイデオロギーに感銘を受けた。
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