生い立ちと初飛行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 04:25 UTC 版)
1896年(明治29年)、宮崎県延岡市南町で裕福な商家の四男に生まれる。幼少期より機械に関心を持ち、宮崎県立延岡中学校(現:宮崎県立延岡高等学校)に入るころには蒸気機関つきの精米機や、水上自転車を製作した。航空機に関心を持つようになったのもこの頃という。 1914年(大正3年)、延岡中学校卒業後に上京、三井物産の自動車部門(ヤナセの前身)で無給の工員として働くが、飛行士白戸栄之助に出会ってその助手となり、複葉水上飛行機・白戸式「巌号」を完成させる。後藤は会社を辞め、白戸とともに航空ショーの全国巡業を行う。その後、ショー中止のトラブルで主催者に賠償を請求されて窮した白戸は、後藤に実質的な「巌号」の売却話を持ち掛け、後藤は実家の父の説得に成功した。1916年(大正5年)、後藤は手に入れた「巌号」とともに延岡に帰り、東臼杵郡門川町の海岸において独力で飛行訓練を行い、試行錯誤の末に直線飛行に成功した。
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