白戸栄之助とは? わかりやすく解説

白戸栄之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/27 09:21 UTC 版)

しらと えいのすけ

白戸 栄之助
生誕 1886年11月12日[1]
青森県北津軽郡金木村
死没 (1938-03-23) 1938年3月23日(51歳没)[2]
千葉市[3]
国籍 日本
著名な実績 日本航空界黎明期における飛行家の育成
活動拠点 千葉県寒川海岸
肩書き 白戸飛行練習所 代表
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白戸 栄之助(榮之助、しらと えいのすけ、1886年 - 1938年)は大正期に活躍した民間航空のパイオニア。奈良原三次門下で飛行機操縦術を学び独立。黎明期に多くの後進を育てた。

来歴

青森県北津軽郡金木村に住む士族・白戸喜三郎の五男として1886年(明治19年)に出生[4]高等小学校卒業後に建具職の見習いを経て盛岡工兵隊に入営。1906年(明治39年)には選抜されて陸軍交通兵団の中野気球隊に入隊した。1909年に軍曹で退役し金木村に戻る[5]

白戸家は1910年(明治43年)12月に五所川原へ移転。栄之助は上京し、軍隊時代の上官であった徳川好敏の紹介で奈良原三次に師事した[6]

1911年(明治44年)2月には山田猪三郎が設計した飛行船・山田式二号機の初飛行テストに参加。新聞記者や数千の群衆が見守る中、折原国太郎らと共に乗船し浮遊した[7]。同年4月に所沢陸軍飛行場が開かれる。奈良原所有の2号機が運び込まれて、栄之助は助手としてその整備などに当たった。5月には大阪から上京してきた伊藤音次郎が奈良原門下に加わる[8]

1912年(明治45年)4月、川崎競馬場で開催された日本国内初の有料民間飛行大会で、白戸は奈良原式4号機「鳳号」を操縦して日本の民間操縦士第一号の名声を得る。続く5月11日には、青山練兵場(東京)で皇太子嘉仁親王皇孫裕仁親王の台臨飛行を行って金一封を賜り、大成功を収めた[6]

この頃、所沢の飛行場は軍の飛行機が増えて民間機は練習しづらくなっていた。そこで奈良原が目を付けたのが稲毛海岸(後の千葉市美浜区)であり、1912年5月下旬頃ここに移転。干潟を飛行場として利用した。1912年10月から翌年11月にかけては、奈良原式「鳳」号で中国、九州、四国、朝鮮、北海道、東北等、全国の都市で巡回飛行を行い飛行機を普及してまわった(この中で奈良原の愛人・福島よねを「鳳」号に乗せ、日本初の女性の同乗飛行を実施している[6])。こうした成功の一方で経費が嵩んで大きな借金となっており、それに追われるように奈良原の飛行機への情熱も覚めていったとされる[9]

栄之助は1914年(大正3年)9月に深川生まれで4つ年上、新橋烏森の売れっ子芸妓・はつと入籍[9]。翌1915年(大正4年)6月から2ヶ月をかけ、伊藤音次郎設計製作の白戸式旭号で新潟県柏崎、長岡、福島、青森、弘前、八戸を巡って公開飛行を行った[10]

1916年(大正5年)1月、伊藤音次郎が自作の伊藤式恵美号で稲毛海岸から帝都訪問飛行に成功。同年3月、伊藤の設計製作による日本初の民間水上機、白戸式巌号が完成し、同月初の離着水に成功した[10]

1916年(大正5年)10月1日[11] に稲毛飛行場内に白戸共同飛行練習所[注釈 1]を設立する。1916年12月[14]には稲毛海岸から離れ、千葉町(後の千葉市中央区)寒川に白戸飛行練習所[14][注釈 2] を開設。高橋信夫、島田武夫[6]曽根定丸ら飛行士の養成に努めた。

1918年(大正7年)8月中旬、召集されシベリアに出征。栄之助不在の間も妻の初は気丈に練習所を切り盛りし、門下の高橋信夫や田村敏一らが自発的に練習を続けた。津田沼の伊藤音次郎も気にかけてよく練習を見に来たとされる。栄之助は入隊後わずか数ヶ月で胸部疾患と診断され、同年12月に門司港へ送還。広島病院で療養し、翌年2月に東京へ帰還した。病は癒えたものの、やはり体力的には多少衰え、練習所運営の気力も落ちたとされる[15]

1921年(大正10年)2月(航空法公布の2ヶ月前)には日本飛行士倶楽部の連名で中央飛行場設置に関する嘆願書を提出している[注釈 3][16]。同年5月、帝国飛行協会主催の第2回懸賞飛行競技大会において、門下生の高橋信夫が速度と曲技で一等となる[10]

1923年(大正12年)には朝日新聞社主催の東西定期航空会に協力し、操縦士として門下生を派遣。しかし自らの片腕と頼んでいた彼らが相次いで殉職したこともあり、1924年10月をもって航空界から引退する[17]。以後は木工業に転じ[18][19]、1938年(昭和13年)3月の栄之助没後も家族が後継。1942年に株式会社化したのち令和現在も千葉市中央区で存続している[2]

脚注

注釈

  1. ^ 「白戸協同飛行訓練所」とも[12][13]
  2. ^ 「白戸飛行機練習所」とも。
  3. ^ メンバーは栄之助のほか、伊藤音次郎、井上武三郎、石橋勝浪、小栗常太郎、玉井照高(藤一郎)、高橋信夫、安岡駒好、馬詰駿太郎、藤原延の十名。

出典

  1. ^ 『季刊あおもりのき 第16号(新年・冬号)』ものの芽舎、2024年1月31日、14-16頁。 
  2. ^ a b 白戸工業株式会社”. www.shirato-web.com. 2025年9月29日閲覧。
  3. ^ 『東奥年鑑』(昭和13年)東奥日報社、1938年、556頁。NDLJP:1073618/406 
  4. ^ 『東奥年鑑』(昭和4年)東奥日報社、1928年、279頁。NDLJP:1077052/156 
  5. ^ 平木国夫『鳥人たちの夜明け』朝日新聞社、1978年5月、36頁。NDLJP:12668270/22 
  6. ^ a b c d 荒山彰久『日本の空のパイオニアたち : 明治・大正18年間の航空開拓史』早稲田大学出版部、2013年9月、53-54頁。ISBN 978-4-657-13020-4NCID BB13726826 
  7. ^ 木村秀政『わが心のキティホーク:世界航空史跡探訪』平凡社、1981年4月、145頁。NDLJP:12702483/75 
  8. ^ 平木国夫『鳥人たちの夜明け』朝日新聞社、1978年5月、38-40頁。NDLJP:12668270/23 
  9. ^ a b 平木国夫『鳥人たちの夜明け』朝日新聞社、1978年5月、64頁。NDLJP:12668270/36 
  10. ^ a b c 平木国夫『イカロスは翔んだ:日本航空界の先駆者たち』(1925年版)国際情報社、1983年9月、228-229頁。NDLJP:12656119/122 
  11. ^ 明治大正史』 第5巻、明治大正史刊行会 (実業之世界社内)、1927年6月15日、402頁。doi:10.11501/3432653https://dl.ndl.go.jp/pid/3432653/1/234 
  12. ^ 日本航空史』 明治・大正編、日本航空協会、1956年9月、287頁。doi:10.11501/3444876NCID BN02654127https://dl.ndl.go.jp/pid/3444876/1/183 
  13. ^ 「白戸民間飛行練習所▽稲毛海岸に設置さる」『東京朝日新聞』1915年11月15日、朝刊、9面。
  14. ^ a b 日本航空機総集』 第8巻 (九州・日立・昭和・日飛・諸社篇)、出版協同社、1980年10月、129頁。doi:10.11501/2527168NCID BN04687400https://dl.ndl.go.jp/pid/2527168/1/67 
  15. ^ 平木国夫『鳥人たちの夜明け』朝日新聞社、1978年5月、75-77頁。NDLJP:12668270/41 
  16. ^ 平木国夫『羽田空港の歴史 (朝日選書 ; 234)』朝日新聞社、1983年7月、22-23頁。NDLJP:12061126/16 
  17. ^ 我が国で初めての民間プロ飛行家 白戸榮之助”. Shirato, total office design. 白戸工業株式会社. 2023年8月15日閲覧。
  18. ^ 「明治・大正ヒコーキ野郎 故白戸氏・自作機のプロペラ発見」『読売新聞』1977年9月21日、夕刊、10面。「関係者の話では、白戸氏は後年、二人の弟子の死にショックを受けて木工業に転じた」
  19. ^ 商工省 編『全国工場通覧』(昭和14年版)日刊工業新聞社、1939年、1241頁。NDLJP:8312078/719 

参考文献

関連項目

外部リンク





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