生い立ちと初期の業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 16:09 UTC 版)
「リチャード・ストレイチー」の記事における「生い立ちと初期の業績」の解説
エドワード・ストレイチーの三男、初代準男爵サー・ヘンリー・ストレイチーの孫として、1817年7月24日にサマセット州ストーウェイ (Stowey) のサットン・コート (Sutton Court) で生まれた。イギリス東インド会社のアディスコーム軍学校 (Addiscombe Military Seminary) に学び、1836年にベンガル工兵 (Bengal Engineers) に加わり、北西地方 (North-Western Provinces) で灌漑施設の整備に数年間従事した。ストレイチー家には、インド統治に関わるものが多かったため、「ストレイチー家の統治」という嫌みをいう者もいたという。 1845年から1846年にかけて、ストレイチーは第一次シク戦争 (en:First Anglo-Sikh War) に従軍し、アリーワールの戦い (Battle of Aliwal) やソブラーオーンの戦い (Battle of Sobraon) で戦功を上げ、戦況を伝える特電に名が挙げられ、少佐に特進した。 1848年、ストレイチーはJ・E・ウィンターボトム (J. E. Winterbottom) とともにチベットへ入り、1846年に兄ヘンリー・ストレイチーが踏査していたマーナサローワル湖やラークシャスタール湖 (Lake Rakshastal) 周辺の地域を調査した。1849年、ヘンリーとリチャードの兄弟は、ガルワール(Garhwal:現在のウッタラーカンド州西部)からニチ峠 (Niti Pass) を越えて、短期間ながらチベットに入域した。
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