環七通りを基軸に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 19:58 UTC 版)
「都営バス杉並支所」の記事における「環七通りを基軸に」の解説
ただ、青梅街道には都電14系統の代替となる地下鉄丸ノ内線が開通しており、交通局は杉並営業所の新たな方向性を練らなければならなくなっていた。折から環七通りの整備が進んでいたことから、交通局では高円寺陸橋に近い場所に立地する杉並営業所を核に、山手線西側の環七通り全域へと路線を伸ばす計画を立て、堀ノ内移転直前の1966年、66系統(現在の王78系統:新宿駅西口 - 王子駅線。一時的に志村営業所へ移管)が開業した。翌1967年には、5系統(後の宿73→宿91系統)を延長して高円寺以南の環七通りを縦走する138系統(後の宿91系統)を東京急行電鉄(現:東急バス)と相互乗り入れで、新宿駅西口 - 若林駅前 - 大森駅山王口 - 大森操車所も開業した。 また、高円寺陸橋から大原陸橋の間では既存の130系統や131系統(現在の渋66系統)などもあり、共同運行相手の関東バス、京王帝都電鉄(現:京王バス東)、東京急行電鉄(現:東急バス)まで巻き込んだ激しい乗客獲得合戦に発展した。1972年には66系統とほぼ似たルートで国際興業バス(現在の赤31系統:高円寺駅 - 赤羽駅。関東バスと共管)も参戦してきた。しかし、大原陸橋を中心とした環七通りの渋滞が悪化し定時運行の確保が難しくなっていくと、路線の廃止や共同運行先の撤退が相次ぐようになる。
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