王領ハンガリーとは? わかりやすく解説

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王領ハンガリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/09 06:37 UTC 版)

ハンガリー王国
Magyar Királyság (ハンガリー語)
Königreich Ungarn (ドイツ語)
Regnum Hungariae (ラテン語)
1526年 - 1867年
国旗 国章
国の標語: Regnum Mariae Patrona Hungariae[1](ラテン語)
マリアの王国、ハンガリーの保護者
国歌: Himnusz(ハンガリー語)
賛称

1752年におけるハンガリー王国の地図(青色)
公用語 ラテン語
(1784年以前、1790年 - 1844年)

ドイツ語
(1784年 - 1790年、1849年 - 1867年)

ハンガリー語
(1836年 - 1849年)
言語 ルーマニア語スロバキア語クロアチア語スロベニア語セルビア語イタリア語ルーシ語
宗教 カトリックカルヴァン派ルター派東方正教ユニタリアン主義ユダヤ教
首都 ブダ
(1526年 - 1536年、1784年 - 1873年)

プレスブルク
(1536年 - 1783年)
Apostolic King
1526年 - 1564年 フェルディナーンド1世
1848年 - 1867年 フェレンツ・ヨージェフ1世
変遷
モハーチの戦い 1526年8月29日
ナジヴァーラド条約 1538年2月24日
カルロヴィッツ条約 1699年1月26日
ラーコーツィの独立戦争 1703年 - 1711年
ハンガリー革命 1848年3月15日
アウスグライヒ 1867年3月30日
通貨 Forint
1683年頃のハンガリーの地図

王領ハンガリー(おうりょうハンガリー、ポーランド語: Királyi Magyarországドイツ語: Königliches Ungarn)は、近世ヨーロッパに存在した地域区分。ハンガリーの歴史的な支配領域の一つ。

歴史

1541年オスマン帝国によってブダ(現在のブダペストの一部)が制圧された後、オーストリアハプスブルク家ハプスブルク帝国)が支配した、元のハンガリー王国の北部と西部に当たる地域である。現在のハンガリー西部、スロバキア領、クロアチア領、オーストリア領(ブルゲンラント州)などが含まれる。

1593年から勃発した長期トルコ戦争の舞台となり、この戦争は長期に及び、講和は1606年のジトヴァ・トロク条約によりなされた。

1663年に勃発した墺土戦争の戦場にもなり、オスマン側はウイヴァール城塞を攻略した。サンクトゴットハルトの戦いでオスマン軍は敗れたものの、翌年結ばれたヴァシュヴァールの和約によりウイヴァールはオスマン側が領有することになった。

1683年大トルコ戦争が始まった後も戦争の舞台となったが、これを撃退し1687年モハーチの戦いで勝利後はバナト以外のかつてのハンガリー領を回復した。

脚注

  1. ^ Adeleye, Gabriel G. (1999). World Dictionary of Foreign Expressions. Ed. Thomas J. Sienkewicz and James T. McDonough, Jr. Wauconda, IL: Bolchazy-Carducci Publishers, Inc. ISBN 0-86516-422-3.

関連項目




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