王政ローマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 06:22 UTC 版)
古代ローマ最初期の政体は王政だった。伝承では、古代ローマの王政は紀元前753年に初代ローマ王ロームルスが建国してから、紀元前509年に第7代の王タルクィニウス・スペルブスが追放されるまで続いたことになっている。王は世襲ではなく、市民によって選ばれていた。一般的には伝説上の人物と見なされることが多い。タルクィニウスの追放によって王政は終わり、王政への反省から共和政が採られた。これ以降、ローマ人の間には「王を置かない国家ローマ」の心情が刷り込まれており、特に東方の専制君主に対して強い拒絶反応を示すようになった。 しかし、古代ローマが地中海世界を制し都市国家の枠を越えた領域国家へと発展すると、元老院中心の共和政は徐々に崩壊の過程をたどり、ローマは再び専制君主を必要とした。第二回三頭政治を経てローマの実権を一手に握ったオクタウィアヌスは、共和制の多くの要職を兼任するプリンケプス(元首)として君臨し、元老院に「アウグストゥス(尊厳なる者)」の称号を与えられた。これが帝政ローマの始まりである。結果として、古代ローマは王号が蘇ることのないまま395年の東西分裂を迎えた。
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