犬童頼安とは? わかりやすく解説

犬童頼安(いんどう よりやす) 1521~1606

○熊徳丸 軍七 伝心 休矣 美作
◇父:美作重安 子:清兵衛頼兄
 肥後相良氏臣。童氏は、相良長定謀反加担した為に一族滅亡したが、その時まだ幼少であった頼安は許された。その頼安も相良治頼謀反加担して出国するが、後に許され帰参している。以後相良氏の為忠義尽くし獺野原の合戦等で武功挙げた。又、薩摩島津氏水俣城囲まれた際には、島津方の将新納忠元連歌応酬見せている。相良氏島津氏降った後も、幼主頼房の下深水宗芳と共に相良氏存続の為力を尽くした家中信望厚く、頼安が亡くなった際には、7人の殉死者を出している。

犬童頼安

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 08:17 UTC 版)

犬童 頼安(いんどう よりやす)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将相良氏の家臣。出家して伝心、還俗後に再出家して休矣と名乗る。


  1. ^ 水俣城明け渡しの際、この者達への引き渡しを忠元より要求されたが、頼安はこれを拒み、もし必要ならば一戦の上で受け取られよと述べ、忠元を諦めさせている。(『人吉市史』)


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