牛込に関連した史跡など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 07:59 UTC 版)
牛込城 確実な史料は伝わっていないが、伝承によれば、現在の光照寺(新宿区袋町)を中心とした一帯に牛込城があったとされる。 上野の豪族であった大胡重行が上杉から北条へと主君替えをして後の1526年頃、武蔵国牛込から日比谷あたりにかけての領地を北条氏からあてがわれ、息子・勝行が移封してきた。勝行は地名をとって牛込氏を名乗り、牛込城を築いて居館とした。領地を一望にできる高台の館であり、江戸湊に出入りする船をも視認することができたという。 北条氏の滅亡(1590(天正18)年)および徳川家康の江戸入城の後、館は廃止され、跡地に神田光照寺が移転してきたのは1645年のことであったとされる。 現在、城の遺構の類は一切遺っていない。 牛込見附 詳細は「外濠 (東京都)#牛込見附」を参照 JR飯田橋駅西口から左へ進み、跨線橋(牛込橋)を渡りきったあたり、日本基督教団富士見町教会前の交差点近辺に江戸城牛込門の枡形があった。道を挟んで向かい合っていた2基の見附櫓の基部が残っている。名称は(城内から)牛込方面へぬける門の意。門から北西へ延びる道がいわゆる神楽坂である。 ※行政区画としては千代田区内。 牛込濠 詳細は「外濠 (東京都)#牛込濠」を参照 JR飯田橋駅と市ヶ谷駅の間、線路に沿って見られる、外濠の一部を構成する濠(お堀)。 ※行政区画としては新宿区と千代田区の区境にあたる。 牛込駅 詳細は「飯田橋駅#歴史」を参照 上記牛込濠に面して、牛込見附にほど近く、昭和初年まで存在した旧国鉄の駅。 ※行政区画としては千代田区内。
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