鵜殿鳩翁とは? わかりやすく解説

鵜殿鳩翁

(熊倉甚左衛門 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/05 23:58 UTC 版)

鵜殿 鳩翁(うどの きゅうおう、1808年文化5年) - 1869年7月14日明治2年6月6日))は、江戸時代後期、幕末期の幕臣である。甚左衛門。諱は長鋭。号は鳩翁。官位は民部少輔。父は熊倉茂寛で次男。

鵜殿甚左衛門長快の養子となり、1819年文政2年)に家督を相続する。小納戸役などを経て、1848年嘉永元年)、目付として幕府に仕えた。1853年(嘉永6年)、アメリカ合衆国マシュー・ペリー率いる艦隊が来航すると攘夷を主張したが、翌年のペリー再来航時には日米和親条約締結の際の応対係を命じられている。安政の将軍継嗣問題においては一橋慶喜(徳川慶喜)を支持したが、南紀派井伊直弼大老に就任して安政の大獄を開始すると左遷された。これは、彼が攘夷を主張していたためと言われている。1860年万延元年)、名を鳩翁と号した。

1863年文久3年)2月5日、将軍徳川家茂上洛警護のために結成された浪士組の取締役に就任するが、浪士組が清河八郎の策略や、それに伴う近藤勇らとの対立により本来の役目を果たせないまま壬生浪士組(後の新選組)・新徴組に分裂する事になると辞職した。明治には静岡(現在の静岡県)に住み、1869年(明治2年)、62歳で没した。

墓所は静岡市葵区の本要寺。

参考文献

  • 『明治維新人名辞典』

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鵜殿鳩翁」の関連用語

鵜殿鳩翁のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鵜殿鳩翁のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鵜殿鳩翁 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS