灑雪亭露地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 09:22 UTC 版)
本庭最上段の灑雪亭露地は面積約570平方メートル(約173坪)、慶安4年(1651年)3代藩主利常に招かれ御茶頭として仕えた千仙叟宗室(裏千家始祖)の指導によるもので、宏大な池を中心とする庭園と、庭東部の茶席『灑雪亭』からなり、亭前の茶庭には雲龍の陽刻をなした蹲踞を配している。灑雪亭の名は脇田家2代当主直能が、藩の招きで来藩していた儒学者木下順庵が本庭園に遊んだ際に詠んだ詩の一節「飛泉蔭雪灑」からとったもので、順庵自身の命名になる。本席は1畳に台目2畳の利休の侘びを尊ぶ簡素な席で、金沢市内に現存する茶室としては年代的に最も古いものとされている。玉泉園・灑雪亭露地とも明治38年(1905年)に西田家の所有となり、2代目当主儀三郎〜3代儀一郎〜4代外喜雄の3代にわたり個人の手で維持・管理されてきたが、昭和46年(1971年)4月、財団法人西田家庭園保存会の設立により当保存会が寄贈を受け、一般公開されている。
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