瀬名陣所跡とは? わかりやすく解説

瀬名陣所跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 05:38 UTC 版)

桶狭間」の記事における「瀬名陣所跡」の解説

瀬名陣所跡(せなじんしょあと)は、名古屋市緑区桶狭間(旧有松町大字桶狭間寺前)にある史跡である(北緯35度3分14.4秒 東経13658分14.9秒 / 北緯35.054000度 東経136.970806度 / 35.054000; 136.970806)。桶狭間の戦い2日前の1560年6月10日永禄3年5月17日)に瀬名氏俊大将とする今川方の先遣隊200名が陣を構えた場所とされる。『東照軍鑑』(成立年代不詳)に「義元瀬名伊予守朝比奈肥後守父子高天神小笠原ヲ先懸トシテ五千挟(オケハサマ)表ヘ押出シ…」とあり、このうち瀬名役割村木追分村大高村鳴海村各方面監視、および近日中本隊到着向けて本陣設営であった考えられている。瀬名隊の陣所東西15メートル南北38メートルほどであったといわれ、当時トチノキ覆われであったのが後年竹藪となり、地元では長らくセナ」・「センノ」などと呼ばれていたが、1986年昭和61年)に大池堤防工事が行われた際にこのセナ滅失する。現在では「瀬名伊予守氏俊陣地跡(せないよのかみうじとしじんちあと)」と刻まれ標柱残されているほか、案内板立っている。なお、大池堤防工事が行われる以前はすぐ脇を鞍流瀬川流れており、数多く舞うホタルハグロトンボの姿がよく見られたといい、住民はそれを桶狭間の戦い戦死者魂魄だとして、捕獲することをはばかっていたという。 瀬名陣所跡付近平地2012年平成24年7月)。 瀬名伊予守氏俊陣地跡の碑(2012年平成24年10月)。

※この「瀬名陣所跡」の解説は、「桶狭間」の解説の一部です。
「瀬名陣所跡」を含む「桶狭間」の記事については、「桶狭間」の概要を参照ください。

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