澤木啓祐とは? わかりやすく解説

澤木啓祐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/12 13:24 UTC 版)

澤木 啓祐
さわき けいすけ
選手情報
ラテン文字 Keisuke Sawaki
国籍 日本
競技 陸上競技
種目 長距離走
大学 順天堂大学
生年月日 (1943-12-08) 1943年12月8日(81歳)
出身地 大阪府吹田市
成績
オリンピック 5000m:予選敗退(1968年
10000m:29位(1968年
5000m:予選敗退(1972年
10000m:予選敗退(1972年
自己ベスト
1500m 3分44秒5(1967年)
5000m 13分33秒0(1968年)
10000m 28分35秒2(1968年)
20km 1時間00分22秒(1967年)
獲得メダル
陸上競技
日本
アジア競技大会
1966 バンコク 1500m
1966 バンコク 5000m
ユニバーシアード
1965 ブダペスト 5000m
1967 東京 5000m
1967 東京 10000m
編集 

澤木 啓祐(さわき けいすけ、1943年12月8日 - )は、陸上競技の元選手でマラソン・中長距離選手の指導者。順天堂大学スポーツ健康科学部学部長、日本陸上競技連盟副会長。

来歴

大阪府吹田市出身。

大阪府立春日丘高等学校2年時に神戸インターハイ(1960年)、1500m5000mで優勝。高校3年時(1961年)には、日本陸上競技選手権大会1500mで2位入賞、インターハイには出場せず、ヨーロッパを転戦するなど1964年東京オリンピックの有力候補として将来を嘱望された。進路は注目されたが、「有力選手の澤木を必ず獲得する」と監督の帖佐寛章が熱意を見せた順天堂大学(当時は関東学生陸上競技対校選手権大会二部降格線上のチームだった)に進学する[1]。順天堂大学入学後、インカレユニバーシアードなどにおいてトラック競技で大活躍。箱根駅伝でも4年時に花の2区を区間新の快走で初優勝の立役者になった。

競技ハイライトは1966年。その年の6月22日、ロンドンのクリスタル・パレスで開催された、ロンドン4大学対抗競技会5000mで、当時のトップランナーのロン・クラークオーストラリア)、モハメド・ガムーディチュニジア)、メチェル(ハンガリー)を振り切り優勝。タイムは日本新記録の13分36秒2であった。このタイムは1966年の世界ランキング4位。それ以降、日本人におけるこの種目での世界ランキング10位以内はない。その他に、3000mで世界ランキング9位。3マイルで世界ランキング9位。10000mで世界ランキング19位に入った。

1967年7月9日、ソビエト連邦で行われた第10回ズナメンスキー兄弟記念大会英語版で10000mに出場して優勝[2]

その後も1968年メキシコオリンピック1972年ミュンヘンオリンピックの代表に選出されるなど名ランナーとして活躍。5000m、10000mの日本記録を塗り替えていった。

1973年から母校、順天堂大学の指揮をとり、箱根駅伝では4連覇を含む9回の総合優勝を果たす。

2024年6月26日、10000m走の練習中、学生に対して「給水不要」を指示したところ(他の監督・コーチ・スタッフは給水を行った)、練習後に一部の学生が熱中症の症状を呈し、1名が救急搬送される事態が起きた。このことなどが一部週刊誌で報じられ[3]、また不適切な言動を行ったとする匿名文書が学内に出回ったことから、大学は調査委員会を設置して調査を行った。その調査結果を伝達したところ、澤木は陸上競技部名誉総監督を退任し、指導から退くと申し出て、9月4日に退任の挨拶を行った[4][5]

代表選考の責任者

日本陸連では、選手強化本部長として代表選考の責任者を務める。

現役時代の主な成績

マラソン

  1. 2時間16分06秒 8位 1966年別府大分毎日マラソン
  2. 2時間21分07秒 18位 1967年別府大分毎日マラソン
  3. 2時間43分09秒 87位 1968年別府大分毎日マラソン
  4. 2時間30分45秒 53位 1969年別府大分毎日マラソン

箱根駅伝区間成績

※いずれも2区

  • 第39回(1963年) 1時間19分39秒(区間3位)
  • 第40回(1964年) 1時間22分11秒(区間15位)
  • 第41回(1965年) 1時間18分09秒(区間6位)
  • 第42回(1966年) 1時間12分02秒(区間1位)区間新記録(1分50秒短縮)

ユニバーシアード

  • 第4回大会(1965年、ブダペスト):5000m 優勝 13分45秒2(日本新記録)
  • 第5回大会(1967年 東京):5000m 優勝(2連覇)14分03秒8、10000m 優勝 29分00秒0

関連人物・指導した主な選手

著作

  • 『ランニングで強くなる本 オリンピックランナーが明かす正しいランニング』日本文芸社、1980年7月
  • 『マラソン・トレーニング』(山地啓司・山西哲郎との共著)ベースボールマガジン社、1989年9月 ISBN 978-4-58302794-4
  • 帖佐寛章・佐々木秀幸(監修)『マラソン』(高岡郁夫との共著)ベースボールマガジン社〈最新陸上競技入門シリーズ;3〉、1993年4月 ISBN 978-4-58303040-1
  • 全米陸上競技連盟英語版(著)Joseph.L.Rogers(編集)『コーチングマニュアル』(沢村博尾縣貢・青山清英と共訳)陸上競技社、2004年3月 ISBN 978-4-88293250-5
  • 順天堂大学陸上競技研究室『順天堂メソッド 勝つための陸上競技』(監修)ベースボールマガジン社、2009年4月 ISBN 978-4-58310138-5
  • 『陸上競技ビデオ全集 VOL.3「長距離・マラソン」』(監修)ソーケン・ネットワーク (DVD)
  • 『Super陸上 VOL.4「長距離走」』(監修)ソーケン・ネットワーク (DVD)

関連書籍

脚注

  1. ^ 長岡民男『とんで、とんで天まで 十字架のジャンパー山田宏臣物語』講談社、1982年、pp.106 - 110。
  2. ^ 「沢木、一万メートルに優勝 ズナメンスキー陸上」『朝日新聞』1967年7月10日夕刊、3版、10面。
  3. ^ 箱根駅伝の名門でレジェンド総監督が “パワハラ指導”を… 「順天堂大陸上部」選手4人が熱中症で倒れ「救急搬送」「靭帯損傷」”. デイリー新潮 (2024年9月3日). 2024年9月17日閲覧。
  4. ^ 【順天堂大学陸上競技部に関する報道について】”. 順天堂大学 スポーツ健康科学部 (2024年9月6日). 2024年9月17日閲覧。
  5. ^ 順大・澤木啓祐氏が名誉総監督を退任 本人の申し出を受け”. 陸上競技webメディア「月陸Online」 (2024年9月7日). 2024年9月17日閲覧。

関連項目

外部リンク





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