小澤欽一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/06 06:33 UTC 版)
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選手情報 | ||||||||||||
ラテン文字 | Kinichi Ozawa | |||||||||||
国籍 | ![]() |
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競技 | 陸上競技 | |||||||||||
種目 | 長距離走 | |||||||||||
大学 | 日本体育大学 | |||||||||||
生年月日 | 1947年12月20日(77歳) | |||||||||||
生誕地 | ![]() |
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引退 | 1977年 | |||||||||||
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小澤 欽一(おざわ きんいち、1947年12月20日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。神奈川県真鶴町生まれ。日本体育大学卒業。
経歴
高校卒業後は2年間東急に在籍し、5000mは14分18秒2まで記録を伸ばした。
大学時代
1968年、高校の先輩に憧れ日本体育大学に入学。1年時の第45回箱根駅伝では1区を走り区間7位だったが、日本体育大学は初優勝を果たした[1][2]。2年時の第46回箱根駅伝では4区を区間2位で走り、首位をキープ[3]。日体大は連覇を果たした[4][5]。
3年時の第47回箱根駅伝では、往路で日体大は4位と振るわず首位の日本大学とは7分55秒の大差をつけられる。6区の今野秀悦が区間賞で5分58秒差まで詰めると、7区を走った小澤は小雪の降る中ハイペースで押し切り、区間新記録を樹立[6][7]。この区間でトップとの差を1分54秒まで縮めた。その後日体大は3位に後退したが、10区の岩渕仁が2つ順位を上げ、逆転で3連覇を飾った[8]。3週間後の第2回全日本大学駅伝では最長区間の4区で区間賞を獲得し、連覇に貢献した。
4年時の第48回箱根駅伝では大会前に怪我に苦しめられていたが、ライバルの順大・宮下敏夫に勝利し、2区で区間新記録を樹立[9][10]。トップで襷を繋いだ。その後、一時は大東文化大学に並ばれたものの首位は譲らず、総合4連覇を達成した[11]。第3回全日本大学駅伝では昨年に続いて4区を走り、宮下に敗れて区間2位だったがチームは3連覇を成し遂げた。
大学卒業後
教師志望だったが自分の力を試すため神戸製鋼に入社し、競技を続けた。1974年に行われたアジア競技大会の5000mに出場し、銅メダルを獲得した。また、1975年の第24回別府大分毎日マラソンでは初マラソンの日本最高記録となる2時間13分10秒4で優勝を果たしている[12]。1977年に現役を引退し、川崎製鉄千葉(現:JFE千葉)、ダイワハウス、鈴木自動車で女子長距離選手の指導にあたった。
戦績・記録
大学駅伝戦績
学年 | 箱根駅伝[13] | 全日本大学駅伝 |
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1年生 (1968年度) |
第45回 1区-区間7位 1時間04分31秒 |
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2年生 (1969年度) |
第46回 4区-区間2位 1時間05分31秒 |
第1回 ー - ー 出走なし |
3年生 (1970年度) |
第47回 7区-区間賞 1時間04分43秒 区間新記録 |
第2回 4区-区間賞 1時間08分18秒 |
4年生 (1971年度) |
第48回 2区-区間賞 1時間13分37秒 区間新記録 |
第3回 4区-区間2位 1時間13分17秒 |
関連項目
- 岩渕仁 - 同学年
参考文献
脚注
- ^ “【Playback箱根駅伝】第45回/日体大が黄金時代の到来告げる悲願の初V!7位の大東大が出場2回目で初シード”. 月陸Online (2023年12月17日). 2025年8月6日閲覧。
- ^ “【第45回箱根駅伝】日本体育大、往路・復路とも制し初の総合V…明治大が1区ブレーキで繰り上げスタート”. 讀賣新聞オンライン (2023年9月13日). 2025年8月6日閲覧。
- ^ “日体大が2年連続優勝/写真で見る第46回箱根駅伝”. 日刊スポーツ (2020年11月12日). 2025年8月6日閲覧。
- ^ “【Playback箱根駅伝】第46回/日体大が2年連続で完全V果たす 早大、明大が部員不足で予選会に出られず”. 月陸Online (2023年12月18日). 2025年8月6日閲覧。
- ^ “【第46回箱根駅伝】日本体育大が連覇…2年連続で往路・復路とも制す”. 讀賣新聞オンライン (2023年9月12日). 2025年8月6日閲覧。
- ^ “【第47回箱根駅伝】日本体育大、逆転で3連覇…2位・順天堂大と23秒差の接戦制す”. 讀賣新聞オンライン (2023年9月12日). 2025年8月6日閲覧。
- ^ “日本体育大、寮の部屋名は「1区・2区・3区」…1969~73年箱根5連覇へ導いた熱血監督”. 讀賣新聞オンライン (2023年7月2日). 2025年8月6日閲覧。
- ^ “【Playback箱根駅伝】第47回/日体大が往路出遅れから大逆転V3達成 2位・順大と23秒差の大激戦”. 月陸Online (2023年12月18日). 2025年8月6日閲覧。
- ^ “日体大が4連覇/写真で見る第48回箱根駅伝”. 日刊スポーツ (2020年11月14日). 2025年8月6日閲覧。
- ^ “【Playback箱根駅伝】第48回/日体大強し! 往復Vで4連覇達成 大東大が躍進の3位”. 月陸Online (2023年12月18日). 2025年8月6日閲覧。
- ^ “【第48回箱根駅伝】日本体育大、史上3度目の4連覇…大手町発着の新コースに”. 讀賣新聞オンライン (2023年9月12日). 2025年8月6日閲覧。
- ^ “別大マラソン栄光の歴史”. 別府大分毎日マラソン大会. 2025年8月6日閲覧。
- ^ “過去の記録”. 東京箱根間往復大学駅伝競走公式サイト. 2025年8月6日閲覧。
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