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岩渕仁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/29 13:46 UTC 版)

岩渕 仁
いわぶち ひとし
選手情報
ラテン文字 Hitoshi Iwabuchi
国籍 日本
競技 陸上競技
種目 長距離走
大学 日本体育大学
生年月日 (1948-10-13) 1948年10月13日(76歳)
出身地 岩手県大東町
(現:一関市
引退 1982年
自己ベスト
1500m 3分46秒0
3000mSC 8分30秒8(1978年)
獲得メダル
陸上競技
アジア競技大会
1978 バンコク 3000mSC
アジア選手権
1975 ソウル 3000mSC
編集 

岩渕 仁(いわぶち ひとし、1948年10月13日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。岩手県東磐井郡大東町出身。日本体育大学卒業。

経歴

大船渡市立第一中学校岩手県立大船渡高等学校日本体育大学出身。

中学2年生までは生まれ故郷である岩手県東磐井郡大東町で育ったが、父親が事業に失敗して破産。三陸沿岸の大船渡市へ移り、大船渡市立第一中学校に転校した。高校入試では全日制の試験に不合格となり、岩手県立大船渡高等学校(定時制)に進学する。昼は地元の新聞社で写真の暗室作業と、写真製版の仕事をした。午後9時に授業が終わり、ほの暗い照明の下で10時半まで練習し、11時半に帰宅する生活を送っていた。卒業後は警察官になるつもりだったが、両親が「お金はなんとかするから」と進学を勧め、4年生の秋頃に日本体育大学への進学を志すようになる。11月の全国高等学校定時制通信制陸上競技大会では、800mは2分02秒2、1500mは4分10秒9でどちらも3位に入賞した。

1968年、19歳で日本体育大学に進学した。最初の1年間は寮生活で、アルバイトが禁止されていたため、母から毎月10000円の仕送りを受けた。2年生になってからはトンカツ屋に住み込みでアルバイトを始め、3食付きで午後7時から深夜0時まで働いた。

入学時は200人いた部員の中で180番目ぐらいだったというが、3年時の夏合宿のメンバーから外れたため故郷に帰り走り込んだことで力をつけ、箱根駅伝の前に行われた学内予選で11位に入った。主将の怪我もあり、10区を任される。

迎えた第47回箱根駅伝では2連覇中の日本体育大学は前評判に反して苦戦を強いられ、往路は1位の日本大学とは7分55秒差の4位に終わる[1]。復路で追い上げたが、9区終了時点では首位の日本大学とは1分27秒差の3位だった。10区を走る岩渕は序盤からハイペースで入ると、ゴールまで残り約8kmの地点で、トップに立ったという情報を聞いたが意識が朦朧とし始める。優勝の確信は無かったが、両手を広げてフィニッシュテープを切った。岩渕は区間賞を獲得。通算タイムでは2位の順天堂大学と23秒の差で総合優勝し、3連覇を達成した[2][3]

4年時の第48回箱根駅伝では3区を走り[4]、区間8位にとどまったが日本体育大学は4連覇を達成した[5][6]

大学を卒業した1972年からは茨城県で教員となり、日本選手権で7度の準優勝、国民体育大会で4度の優勝、全日本実業団陸上競技選手権で4度の優勝を成し遂げた。1975年のアジア陸上選手権では3000m障害で銀メダルを獲得すると、1978年9月の8ヵ国対抗陸上競技大会では、当時日本歴代3位となる8分30秒8をマーク。同年12月のアジア競技大会では3000m障害で銅メダルを獲得した。1982年に33歳で現役を引退した。

引退後

1985年にヱスビー食品に入社。陸上競技部の監督も務めた。

1989年1月に日立製作所女子陸上競技部の監督に就任し、1995年3月に退任した。同年6月に東京療術学院で医学を学び、1997年6月に療術整体師の資格を取得。水戸市で岩渕スポーツ整体院を開業した。また、2008年10月には水戸ランナー塾を創設している。

戦績・記録

大学駅伝戦績

学年 箱根駅伝[7] 全日本大学駅伝
1年生
(1968年度)
第45回
ー - ー
出走なし
なし
2年生
(1969年度)
第46回
ー - ー
出走なし
第1回
ー - ー
出走なし
3年生
(1970年度)
第47回
10区-区間賞
1時間05分35秒
第2回
ー - ー
出走なし
4年生
(1971年度)
第48回
3区-区間8位
1時間08分26秒
第3回
6区-区間2位
25分03秒

自己ベスト

  • 3000m障害 - 8分30秒8(1978年9月25日:8ヵ国対抗陸上競技大会)

参考文献

脚注

  1. ^ 【第47回箱根駅伝】日本体育大、逆転で3連覇…2位・順天堂大と23秒差の接戦制す”. 讀賣新聞オンライン (2023年9月12日). 2025年6月29日閲覧。
  2. ^ 【Playback箱根駅伝】第47回/日体大が往路出遅れから大逆転V3達成 2位・順大と23秒差の大激戦”. 月陸Online (2023年12月18日). 2025年6月29日閲覧。
  3. ^ 往路4位日体大逆転V/写真で見る第47回箱根駅伝”. 日刊スポーツ (2020年11月13日). 2025年6月29日閲覧。
  4. ^ 日体大が4連覇/写真で見る第48回箱根駅伝”. 日刊スポーツ (2020年11月14日). 2025年6月29日閲覧。
  5. ^ 【Playback箱根駅伝】第48回/日体大強し! 往復Vで4連覇達成 大東大が躍進の3位”. 月陸Online (2023年12月18日). 2025年6月29日閲覧。
  6. ^ 【第48回箱根駅伝】日本体育大、史上3度目の4連覇…大手町発着の新コースに”. 讀賣新聞オンライン (2023年9月12日). 2025年6月29日閲覧。
  7. ^ 過去の記録”. 東京箱根間往復大学駅伝競走公式サイト. 2025年6月29日閲覧。



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