阿久津浩三
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獲得メダル | ||
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陸上競技 | ||
アジア選手権 | ||
金 | 1985 ジャカルタ | 5000m |
阿久津 浩三(あくつ こうぞう、1960年11月11日 - )は日本の陸上競技選手(長距離走)。栃木県那須町出身。
日立工業専修学校から日立製作所に進む[1][2]。日立時代は目立った実績を残せなかった[1][2]。限界を感じていたところに、知り合いの指導者から地元に戻ってくることを勧められ、病院職員として勤務しながらトレーニングを続けた[1][2]。このトレーニングが功を奏して記録が向上した[1][2]。
1985年のアジア陸上競技選手権大会(ジャカルタ)では5000メートル (m)に14分22秒11のタイムで優勝。1987年の日本陸上競技選手権大会10000mに優勝し、同年の世界陸上競技選手権大会(ローマ)の代表となった(本番では20位)。1988年5月の東京国際陸上10000mでは27分46秒16の自己ベストで五輪標準記録を突破、ソウルオリンピックの代表に選ばれた。オリンピック本番では決勝に進出し、出場した日本人では最高の14位(28分09秒70)であった[1][2]。1994年の福岡国際マラソンでは2時間11分31秒の記録で6位に入賞している。
その後競技の第一線からは退いたが、2008年当時は地元の大田原マラソンの10kmロードなどに参加し、ランナーとしての活動を続けていた[1]。2019年時点では栃木県の駅伝大会にスタッフとしてかかわり、「トレーニングを再開して、ランナーとして出場したいという野望」も持っていると述べている[2]。
マラソン全成績
- 1985年東京国際マラソン 2時間41分08秒 70位
- 1986年福岡国際マラソン 2時間17分26秒 30位
- 1991年大田原マラソン 2時間18分28秒 優勝
- 1992年東京国際マラソン 2時間15分40秒 15位
- 1993年福岡国際マラソン 途中棄権
- 1994年福岡国際 2時間11分31秒 6位(生涯自己記録)
- 1995年 陸上ワールドカップアテネ大会 2時間25分49秒 46位
- 1996年東京国際マラソン 2時間17分43秒 26位
- 2001年ホノルルマラソン 2時間54分05秒 64位
脚注
- ^ a b c d e f 「とちぎ五輪史(9)」 - 下野新聞(2008年)[リンク切れ]
- ^ a b c d e f “【とちぎ路を駆けた韋駄天 郡市町駅伝60年】<1>阿久津浩三さん 入賞の歓喜、自分も成長”. 下野新聞. (2019年1月24日) 2025年2月9日閲覧。
- 阿久津浩三 - ワールドアスレティックスのプロフィール
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