漁業の町「飯沼」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 23:04 UTC 版)
平安時代において、房総半島は上総国、下総国、安房国の三国となり、『倭名類聚抄』によると銚子港近辺は「下総国海上郡 三前郷」と記されている。「銚子」という名が使われるようになったのは江戸時代(1700年頃)以降であり、それ以前は、「飯沼」あるいは「三前」と呼ばれていた。また、粟島台遺跡と同様の地域を「下総国海上郡 船木郷」(船木部が置かれ造船用材を扱った地)としている。平忠常の子孫である千葉氏の支族である東氏(庶家、千葉六党)及び海上氏(庶家)がこの地を領有するようになり、建久年間(1190年代)千葉常衡が海上与市を名のって船木郷に中島城を築城したといわれている。中島城周辺には、円福寺(飯沼観音)及び川口神社があり、円福寺は神亀5年(728年)に漁夫が海中から引き揚げた十一面観音像を安置したのが始まりといわれ、海上氏の帰依も厚く、門前町が形成されたのが、現在の銚子の都市的起源とされている。また、川口神社は寛和2年(986年)の創建と伝えられており、海の守り神として白神明神とも呼ばれ、銚子大漁節では「この浦守る川口の明神御利益あらわせる」と歌われているように、古くから漁師の信仰をあつめていることからも、古くから漁業が盛んな地であった。
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