渇死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 05:31 UTC 版)
マリ・メナカ圏中央地区ウアリトウフルート地区より北西5km、メナカの東方約132km、インゲルジガール地区(メカナとイネカールの中間地点)において上温湯の遺体が発見された。遊牧民のキャンプより約20km離れている地で、1本の灌木の下にわずかな身の回り品と共に遺体は横たわっていた。 イネカールを10日前に出発していることから、先の旅で死亡したメナカの北150kmにあるラクダの頭骨を拾いに行ったと思われる。死因は明確ではないが、遺体に損傷の跡が見られなかったこと、胃や膀胱が空であったこと、近くに上温湯のラクダがいなかったこと、荷物が無かったことから、旅の装備品を乗せたラクダが何らかの理由で逃走し、渇きと飢えで死亡したものと見られる。なお、現地国家憲兵隊によると、近くの砂漠のタカスガザの丘の上を行ったり来たりしている足跡が確認されていることから、逃げたラクダを探したのではないかと考えられている。 パスポートなどの身に着けていた所持品は、メナカ憲兵地隊に保管され、遺体はメナカに埋葬された。仮墓は1984年5月31日に広木武夫によって発見され、遺骨は遺品と共に回収され、同年6月15日、東京の母親に届けられた。その母親も遺骨を受け取った3か月後に、自宅で病死しているのが近所の人によって発見されている。メナカ地区には、墓碑が建てられていたが、2020年現在、一部崩壊している。
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