清水谷商会の繁盛とは? わかりやすく解説

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清水谷商会の繁盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 01:08 UTC 版)

山口慎」の記事における「清水谷商会の繁盛」の解説

銀座1872年明治5年〉の大火契機に、煉瓦造りによる商店街(銀座煉瓦街)が作られた。西洋酒問屋清水谷商会」は1877年明治10年〉、京橋区尾張町1丁目に開店桜田ビールのほかワインウィスキー輸入販売した問屋という名称は江戸時代と同様、当時ステイタス・シンボルであった清水谷商会洋酒立ち飲みもさせる店であり、当時銀座賑わい一端を担う繁盛となった明治18年発行の 『東京商工博覧絵』 は当時銀座界隈商店事業所を一店ずつ銅版画紹介しており、「清水谷商会とともに尾張町新地の 「友常組商会」 も載っている。友常組商会は慎の妻の弟・友常穀三郎頼まれ資金出し開店したという。 また、銀座4丁目に「山口屋」 という輸入タバコ店も構え桜田ビール清水谷商会とともに外国人居留者に向け英字新聞広告出している。 慎がペルー向かいサンフランシスコ寄港したとき、カリフォルニアワイナリー営んでいた長澤鼎(かなえ)が訪れワイン販路についての交渉をした。が、清水谷商会倒産により話は絶えてしまう。長澤薩摩藩第一次英国留学生の一人で、後にカリフォルニアワイン王呼ばれるようになった江戸東京博物館2022年現在改修工事のため長期休館中)には 「文明開化 東京銀座煉瓦街」 というジオラマ展示があり、改修以前には上記銅版画などをモデル作成され清水谷商会、のちには友常組商会常設展示されていた。

※この「清水谷商会の繁盛」の解説は、「山口慎」の解説の一部です。
「清水谷商会の繁盛」を含む「山口慎」の記事については、「山口慎」の概要を参照ください。

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