液体式の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/01 09:55 UTC 版)
「クラウス=マッファイML-4000形ディーゼル機関車」の記事における「液体式の終焉」の解説
アメリカのディーゼル機関車技術は、1960年代後半になると世界の先端水準まで追いついてきた。電気式ディーゼル機関車が圧倒的になると、液体式ディーゼル機関車はいかに便利であろうとも、持て余されるようになった。 SPをはじめとする鉄道会社は引き続き強大な出力の機関車を欲したが、アメリカの車輌製造会社は1基のエンジンの機関車でそれに答えた(ML-4000は2基である)。1960年代後半には、SPはGM-EMDにSD40やSD45、ゼネラル・エレクトリックにU33Cを発注した。1967年、キャブ・ユニットタイプの初期ML-4000形は同年9月以降、順次使用終了となり、フード・ユニットの二次形もそれに続いた。 太平洋機関車連盟(Pacific Locomotive Association、PLA。のちのナイルス・キャニオン鉄道(Niles Canyon Railway)は、キャブ・ユニットのML-4000形が牽引する鉄道ファン向けの鉄道旅行の企画をSPに打診した。しかしながら、キャブ・ユニットはすでに使用されていなかったため、同年春、フード・ユニットの9120号がFP7とともに使用された。これが、ML-4000が旅客列車を牽引した唯一の機会となった。 1868年2月13日、SPは液体式ディーゼル機関車の使用をすべて取りやめることを発表した。同年末までに全車両が運用から外された。アルコの3両は少し程度がよかったので、1973年まで使用された。
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