海軍機関学校卒業~太平洋戦争・終戦
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1937年(昭和12年)3月、海軍機関学校を卒業。 海軍機関少尉候補生として任官し、近海航海を経てヨーロッパへの遠洋航海に出る。 1941年(昭和16年)、太平洋戦争開戦時には海軍機関大尉として南方部隊に所属。フィリピン、ボルネオ、スラバヤ各方面の作戦に参加。 多くの艦に乗り多くの作戦に参加したが、転属命令で艦を降りるとその艦が沈没することが度々起こった。通常は機関室で指揮を執っていたが、交戦時は射撃要員に駆り出され、銃座につくこともあった。 戦時中の1943年(昭和18年)に従妹の上野俊と結婚、翌1944年(昭和19年)に長男・哲夫が誕生する。 また一方で、父・徳兵衛を空襲で、弟・侑三(陸軍幼年学校~陸軍士官学校~陸軍航空隊)を訓練中の事故で失う。 海軍機関学校教官を経て少佐となり、第三特攻戦隊参謀として終戦を迎える。
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