流路の歴史的変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 15:19 UTC 版)
御勅使川は史上さかんに流路を変化させ、最も北に位置する現在の本流路のほか北から前御勅使川、御勅使川南流路、下今井流路、十日市場流路の5本の旧河道痕跡が発見されている。古代から流域に水害を及ぼす洪水を起しており、増水時には釜無川を押流して水害は盆地一帯にまで及んだ。考古遺跡は右岸の微高地上にわずかに大塚遺跡、立石下遺跡、石橋北屋敷遺跡などわずかに古墳時代から古代の集落遺跡が点在する程度であり、氾濫原である流域への定住は遅れていたと考えられていたが、近年は1989年(平成元年)以降の中部横断自動車道建設に際して百々遺跡などの遺跡群が発見され、遺跡の埋没原因となった流路変遷に関する研究が行われている。 下今井流路は縄文時代晩期から弥生時代前期の最も古いもので、弥生後期から古墳時代後期の十日市場流路、奈良・平安時代の南流路が続く。15世紀から16世紀初頭には鉄砲水により南流路を埋没させる大氾濫が発生しており、中世には前流路と新流路(現流路)のふたつが本流となる。この大氾濫で付近一帯に堆積した、砂礫層は近世以降に「原七郷」と呼ばれる干魃地帯となった原因であると考えられている。
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