流域の遺構と歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/17 02:35 UTC 版)
物部川河口部に広がる高知県最大の平野である香長平野では弥生時代から人類が定住していたとみられる遺跡や古墳が各地に残されている。中でも南国市の田村遺跡は高知県を代表する遺跡のひとつであり、80基に及ぶ古墳の他、弥生時代の竪穴住居や堀立柱建物、水田などが発掘された。また飛鳥時代には物部氏の勢力圏下であったと考えられており、香美市内には同氏を祭る若一王子宮がある。平安時代初期には国府が置かれ、紀貫之が国府として同地を治め、都への官道が開かれるなど、発展を見せた。江戸時代に入ると、土佐藩家老の野中兼山が後免地区を中心に用水路を建設して農産業の振興を図り、今日の基礎を築いた。用水路は舟運にも利用され、物部上流の槇山、韮生方面から木材・薪炭・穀物を運び、高知城下の商品を山間部へ運ぶ役割を果たした。これにより下流部の神母ノ木は人の往来が活発化し、宿場町として繁栄を見せた。また、兼山は治水対策にも着手しており、旧川に山田堰を築いたことで農作物の生産性を高めた。山田堰は1973年に物部合同堰が完成するまで、堤防としてその役目を果たし、現在は跡地の一部が記念公園として整備されている。
※この「流域の遺構と歴史」の解説は、「物部川」の解説の一部です。
「流域の遺構と歴史」を含む「物部川」の記事については、「物部川」の概要を参照ください。
- 流域の遺構と歴史のページへのリンク