洗濯船のアトリエのモディリアーニ
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「洗濯船」の記事における「洗濯船のアトリエのモディリアーニ」の解説
イタリア人画家アメデオ・モディリアーニ (1884-1920) が渡仏したのは1906年のことである。「洗濯船」に近いコーランクール通りにアトリエを借り、「洗濯船」のピカソ、マックス・ジャコブ、アンドレ・ドラン (1880-1954)、詩人のギヨーム・アポリネール (1880-1918)、作家のブレーズ・サンドラール (1887-1961) のほか、ディエゴ・リベラ (1886-1957)、そして後にモーリス・ユトリロ (1883-1955)、シャイム・スーティン (1893-1943) らとも親しく付き合うようになった。1907年から1908年にかけてアンデパンダン展およびサロン・ドートンヌに出展。1907年にコーランクール通りにアトリエを去ってから、「洗濯船」や周囲のアパートを転々とした。一方、既に1900年頃からモンマルトルの古い家が取り壊されて、新しい住宅が建てられるようになり、1910年代から芸術の拠点はモンパルナスに移り、モディリアーニもスーティン、シャガール、キコイーヌなど、主にソ連や中東欧での弾圧を逃れてきた若いユダヤ人芸術家が集まった集合アトリエ「ラ・リューシュ (蜂の巣)」を拠点に活動するようになった。 だが、その後「洗濯船」のアトリエで撮った写真が残されている。1枚は、右手にタバコを持ち、脚を組んで椅子に座っている写真、もう1枚の写真には2年間付き合っていた英国の詩人・ジャーナリストのベアトリス・ヘイスティングス(フランス語版)(1879-1943) の肖像画が写っているため、これらは1915年頃のものとされる。また、1953年12月17日、ブレーズ・サンドラールが40年ぶりに「洗濯船」を訪れ、生前のモディリアーニについて語っている動画が公開されており、このときにもモディリアーニのアトリエは残されていたことがわかる。
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