注文の受注
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:26 UTC 版)
宮中から川端道喜へは、年中行事以外にも臨時に注文が寄せられた。川端道喜には延宝4年(1676年)から安政元年(1854年)までの宮中からの注文を記録した「御用永代要聞記」が遺されている。この「御用永代要聞記」は途中約20年間の記録の欠落があるものの、残りの150年あまりの宮中からの注文の実態が明らかになっている。 「御用永代要聞記」に記録されている注文数は合計1890件であり、飯と餅が約35パーセント、ちまきが約23パーセント、残りがうるち米の粉など菓子の材料等、その他の品の注文であった。 注文数の傾向としては、「御用永代要聞記」に記録されている中で初期の霊元天皇の時代は年間1回以下の注文数であったものが、中絶してしまっていた宮中儀礼の復活に熱心に取り組んだ桜町天皇、そして桃園天皇の頃から増えていく。この増加の背景には皇室領の増加による収入増があったものと考えられている。そして幕末の孝明天皇の時代には、年間30回を超える注文数となっている。 なお、ちまきの注文を例にとると、江戸時代中期は1000本、2000本というようにきりの良い数字での注文であったが、幕末になると物価高騰の影響を受けて、必要数を細かく計算し、1280本など端数が出る注文数となっていく。また米が不作の年には材料である米価が高騰するため、川端道喜も宮廷側に対して価格交渉を行って納入価格を上げてもらい、米価が下落すると価格をもとに戻したりしていた。
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