波及の限界と文化圏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 00:55 UTC 版)
弥生早期に続く弥生前期、北九州の水田農耕は、西日本文化圏に急速に広がる。しかし、尾張の西半分で、拡大は一時、停滞する。この境界は、縄文晩期の刻目突帯文土器の境目で、西日本文化圏の端でもあった。 この弥生時代前期の時期にも、縄文土器の流れをくむ各地の特徴を持つ刻目突帯文土器が1~5割見いだされる。北九州からの移住者と地元の住人が、ひとつの集落をつくっていた。 尾張の中心を境に、弥生土器の波及は一時、停滞したが、この境界を超えると、中部、北陸、関東、東北南部まで急速に普及した。しかし、東北中心部では長く縄文土器の時代が続き、弥生土器の普及は遅れる。 異なる文化圏を超えては、農業技術を含め、土器はなかなか波及して行かない。
※この「波及の限界と文化圏」の解説は、「弥生土器」の解説の一部です。
「波及の限界と文化圏」を含む「弥生土器」の記事については、「弥生土器」の概要を参照ください。
- 波及の限界と文化圏のページへのリンク