法的・政治的見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:32 UTC 版)
「地下鉄道 (秘密結社)」の記事における「法的・政治的見解」の解説
地下鉄道によって、北部の州と奴隷州の間で摩擦が大きくなった。北部には、奴隷を自由にしようと活動する奴隷制度廃止論者たちに、どちらかと言えば共感した人たちは多くいた。また、南部の人々は何年にもわたって、脱走奴隷を捕まえるために強力な法律を制定しようと推し進めた。1793年逃亡奴隷法は、合衆国議会が承認した初めての、奴隷制が廃止されている州での逃亡奴隷たちの問題について規制した法律であった。その後、南部州の議員の力もあって、議会は1850年に逃亡奴隷法を承認し、逃亡奴隷の捕獲が強制された。この法律によって、奴隷制が廃止されている州に亡命した奴隷は、もはやそこで法的に自由になることが不可能になり、結果として奴隷はカナダや英国領土に亡命するしかなかった。またこの法律の制定により、オハイオ州などに通じる地下鉄道の発達が促された。これと同時期に、南部では数多くの奴隷の反乱が失敗に終わっており、首謀者のみならず、罪のない奴隷たちへの自警団による報復の暴行が頻発、北部へ逃亡する奴隷の数がさらに増加した。 南北戦争で北部と南部の間の対立がピークに達した時には、数多くの奴隷たちや自由黒人たちが連邦国軍の兵士として連合国軍と戦った。合衆国憲法第13修正が承認された後は、他国に亡命していた黒人たちが合衆国に帰国しても安全になったため、地下鉄道はそれまでと逆の動作をとり、黒人たちが帰国するのを補助した。
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