法的、政治的経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 04:41 UTC 版)
「ロジャー・シャーマン」の記事における「法的、政治的経歴」の解説
公式な法律に関する訓練が無かったという事実にも拘わらず、シャーマンは土地の弁護士によって司法試験のための勉強を勧められ、1754年にはコネチカットのリッチフィールドで法廷弁護士として認められた。1755年から1758年と1760年から1766年には、コネチカット植民地議会におけるニューミルフォード代表にもなった。1766年、コネチカット植民地議会の上院議員に選出されこれを1785年まで務めた。 1762年に治安判事に指名され、1765年には一般訴訟裁判所判事、1766年から1789年はコネチカット最高裁判所の判事となった。この1789年はアメリカ合衆国議会の議員になるために離任した年である。イェール大学の財務官にも指名され、名誉文学修士号を授与された。長い間宗教学の教授であり、当時の偉大な神学者の何人かと文通も交わしていた。 1783年、シャーマンとリチャード・ローが混乱し古臭くなっていたコネチカット邦の法律を大々的に改訂する作業に指名され、これを大成功のうちに終わらせた。1784年、ニューヘイブンの市長に選ばれ、この職は死ぬまで続けた。シャーマンはアメリカ合衆国初期の重要な4つの文書、同盟規約、アメリカ独立宣言、連合規約およびアメリカ合衆国憲法に全て署名した唯一の人物として特に著名である。3つの文書に署名した人物でもロバート・モリス唯一人である。
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