泊神社棟札「田原家傳記」
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「宮本伊織」の記事における「泊神社棟札「田原家傳記」」の解説
伊織が武蔵死後8年目の承応2年(1653)に播磨の故郷に再建した泊大明神社の棟札、通称「泊神社棟札」には伊織の先祖附が書かれている。裏面に「願主、源貞次・舎弟玄昌、田原家傳記を當社・米堕天神宮別書収め入れ畢」と明記されているので正式には『田原家伝記』と称すべきであろう。「余の祖先は…」と伊織の述懐様式で田原家の先祖附が書かれ、子孫世々米堕邑に産せりとして、曽祖父貞光、祖父家貞、父は久光であり、伊織が武蔵の養子になったいきさつなどが記されている。 作州の顕氏神免なる者有り。天正の間嗣無くして筑前秋月城に卒す。遺を受け家を承るを武蔵掾玄信と曰う。後に氏を宮本と改む。亦子無くして余を以て義子と為す。故に余、今其の氏を称す。 すなわち、作州の名族神免(新免)氏に跡継ぎがなく、遺言によってその神免家を継いだのが武蔵玄信である。のち宮本武蔵と称したが、また子がなかったので自分が義子(養子)になり宮本を称するようになったと述べている。
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