泉南高等女学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 23:43 UTC 版)
「大阪府立和泉高等学校」の記事における「泉南高等女学校」の解説
1899年(明治32年)勅令高等女学校令の公布に伴い、翌1900年2月に大阪府知事・菊池侃二が『大阪府教育十カ年計画』を策定し、都心部の中等教育について、府が旧制中学校・高等女学校の普通教育学校を、大阪市は商業学校など実業学校を設置することに決まったが、郡部への府立高女の設置については、高女を受験する高等小学校在籍の女子児童が少ないことから見送られた。 一方、政府が女子教育の拡充を急務としており、大阪府は「将来的に郡部に府立高等女学校が必要となれば府立として設置する。郡立として設置する場合は府からの補助をおこない、将来的に漸次府立へ移管する」という方針も同時に掲げた。 このため泉南郡は、郡立での設置を決定。1901年4月9日の文部省告示第91号、および大阪府告示第106号により認可され、泉南郡岸和田村1910番地、岸和田城内・日南倶楽部建物を使い、「泉南郡立大阪府泉南高等女学校」が開校した。府下の高女では大阪府立中之島高等女学校(現・大手前高校)、堺市立堺高等女学校(現・府立泉陽高校)、大阪府立清水谷高等女学校(現・清水谷高校)に次ぐ4番目で、郡立としては初の開設となった。 狭隘な敷地のため、1911年5月に泉南郡岸和田村字東光寺(現在の岸和田市野田町)に移転。1915年(大正4年)4月に大阪府に移管され、大阪府立泉南高等女学校と改称された(1915年4月1日の文部省告示第65号で認可)。
※この「泉南高等女学校」の解説は、「大阪府立和泉高等学校」の解説の一部です。
「泉南高等女学校」を含む「大阪府立和泉高等学校」の記事については、「大阪府立和泉高等学校」の概要を参照ください。
- 泉南高等女学校のページへのリンク