泉南地域と石綿紡織業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 00:22 UTC 版)
「大阪・泉南アスベスト国家賠償請求訴訟」の記事における「泉南地域と石綿紡織業」の解説
1912年(明治45年)に栄屋誠貴が栄屋石綿紡織合資会社(のちの栄屋石綿紡織所株式会社)を北信達村牧野(現・泉南市信達牧野)に設立した。それを契機として、現在の泉南市と阪南市を中心にして泉州地域には石綿紡織工場が設立され、石綿(アスベスト)を原料とした糸や布が生産されてきた。戦前には軍需産業へ、戦後は造船・自動車・鉄鋼などの主要産業へ製品が供給された。「泉南地域と石綿被害と市民の会」の調査では約100の工場があったことが確認されている。 高度成長期には、零細工場を含めると石綿関連の事業所は200以上あったとも言われ、「石綿村」と称された。
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