河野広中 こうの ひろなか
福島生まれ。政治家、民権運動家。父は三春藩郷士。地方の下級官吏を経て、自由民権運動に参加。石陽社を設立するとともに、愛国社再興に尽力。国会期成同盟の運動で片岡健吉とともに国会開設請願書を提出。明治14年(1881)の自由党創設に参加。福島事件に連座し下獄。憲法発布の大赦で出獄し、第1回総選挙から連続14回当選。憲政本党結成に参画するとともに、普選運動と対外硬運動に奔走。36年(1903)衆議院議長。38年(1905)ポーツマス条約に反対し、日比谷焼討事件に連座。のち立憲同志会結成に加わり、第2次大隈内閣の農商務相に就任した。
(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております。掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)
固有名詞の分類
Weblioに収録されているすべての辞書から河野広中を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から河野広中 を検索
- 河野広中のページへのリンク