秋田氏時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 08:27 UTC 版)
現在の三春城の構造は、この松下氏時代の城郭を基本としているものである。ただし、この時点ではまだ山城であり、近世的な平山城になるには次の秋田氏時代を待たなければいけない。長綱は寛永21年(1644年)に改易となり、翌年、常陸国宍戸から秋田俊季が5万5千石の領主として三春城へ封じられた。秋田氏は中世に十三湊で一大隆盛を誇った安東氏の末裔である。 その後、秋田氏は幕末まで三春藩主として君臨した。なお、幕末の戊辰戦争の際、官軍(薩摩藩・長州藩・土佐藩迅衝隊など)が隣藩の棚倉城を落とすと、断金隊隊長の美正貫一郎の尽力や河野広中らの働きによって秘かに板垣退助らと会談して三春藩は奥羽越列藩同盟を脱退、官軍に無血降伏した。そのため、三春城は周辺諸藩と違い、逆賊のそしりを受けずに済み落城を免れた。
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