河口信久
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 16:46 UTC 版)
嘉永4年(1851年) - 大正8年(1919年)。字は敬之、号は久斎。 兄の信寛から家督を継ぎ、古河藩医に就任。江戸の慶應義塾内の医学所(慶應義塾医学所)に入学して福澤諭吉らに医学を学び、創成期の医学所を卒業。廃藩置県により古河藩が消滅し、藩医の座を失った。伊東貫斎に学び、明治11年(1878年)に明治政府より医術開業免許を受け、近代医師として出発。 明治初年、未だに医療施設が完備されていなかった茨城県で無償で種痘活動を行ったり、伝染病やコレラなどの医療活動に多大なる貢献をし、北関東における医の基礎を築いた。
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