汨水までの作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:45 UTC 版)
12月24日、第6師団と第40師団は新牆河の渡渉を開始した。両師団とも中国軍の頑強な抵抗に遭ったが、夜襲を繰り返してその陣地を突破した。第3師団と澤支隊は、25日早朝から攻撃前進を開始した。 12月25日、香港のイギリス軍が降伏したため、岳州の戦闘司令所にいた阿南軍司令官は、翌朝漢口への帰還を予定していた。しかし26日は悪天候で出発できず、阿南軍司令官は帰還を見合わせ、それからは長沙進攻への熱意を燃やすようになった。汨水の南岸の中国軍は、第37軍(第60、第95、第140師)、第99軍(第92、第99師)と判断され、29日からの攻撃が予定されていた。 第3師団は汨水の渡河を急ぎ、12月27日の昼に時間を繰り上げて渡河を開始した。対岸の第99軍はトーチカ・既設陣地から頑強に抵抗したが、重火器の援護をうけた第3師団各部隊はその抵抗を排除して28日夜までに渡河、第37軍の背後にまわる追撃を開始した。 第6師団は12月26日夜から、第40師団は29日から汨水の渡河を行ったが、河は数日続いた雨雪のために増水し、架橋作業・渡河には多くの困難がともなった。渡河完了後も、南岸地区の中国軍は険しい山地の地形を利用して頑強な抵抗を行った。12月30日夜、第40師団後方では輜重兵第40連隊が敵襲を受け、連隊長森川敬宇中佐が戦死した。第40師団内では、汨水渡河後に作戦を打ち切って反転するという噂が流れており、これが弾薬の消耗を早めてしまう一因となった。
※この「汨水までの作戦」の解説は、「第二次長沙作戦」の解説の一部です。
「汨水までの作戦」を含む「第二次長沙作戦」の記事については、「第二次長沙作戦」の概要を参照ください。
- 汨水までの作戦のページへのリンク