江本孟紀との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 07:29 UTC 版)
現役時代、野村とバッテリーを組んでいた江本孟紀は2012年の著書で「やさしいことを難しく言うのが野村ID野球の最大の特徴。データや戦略だけで勝てるほどプロは甘くない。実際野村さんの成績を見れば分かる。楽天では4年目にようやく2位になったが、ヤクルト、阪神を含めれば7年連続Bクラス。4年連続最下位の監督は過去に例がない。このとき野村さんが何て言ったかといえば、『オレがどんなに言っても選手がその通り動かなかった』って。でもこれは話が矛盾している。そういうチームをデータや戦略で強くするのが野村ID野球なのに、選手の力が足りないというのは本末転倒もいいところ」と野村を批判していたが、2010年代後半には「やっぱり野村監督の野球理論はしっかりしていました。試合3時間前にはミーティングをやって1番バッターから順に1球目ストライクだったら次は?もしボールだったらとやるんです。マウンドに立つと、データを忘れることもあるんですけどこれだけ準備してきた。というピッチングに集中できるんですよ」など、野村野球を称賛するようになっている。 上記のように江本からの批判もあったが、イベントでの共演や対談などで付き合いはあり、現役引退後も師弟としてのつながりは継続していた。また、江本は野村の死後には追悼番組に出演しており、多くのメディアで野村のことを語っている。 なお、野村は後述する事情から、自身に関する資料や写真を「南海ホークスメモリアルギャラリー」(南海電鉄が運営する展示施設)へ提供することを拒否していた。これに対して、江本は野村の生前から、展示に承諾することを何度も打診。野村が永眠した2020年には、遺族から展示の承諾を取り付けた末に、「南海ホークスメモリアルギャラリー」での展示を実現させた(詳細後述)。
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