江戸時代の文献での記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 15:58 UTC 版)
『古今百物語評判』には「都がたの人または名字なる侍にはこの災ひなく候。」とある。鎌鼬にあったなら、これに慣れた薬師がいるので薬を求めて塗れば治り、死ぬことはない。北は陰で寒いので物を弱らす。北国は寒いので粛殺の気が集まり風は激しく気は冷たい。それを借りて山谷の魑魅がなす仕業と言われている。都の人などがこの傷を受けないのは邪気は正気に勝てぬと言う道理にかなったことだと言う。 根岸鎮衛『耳袋』(巻の七「旋風怪の事」)には、江戸の加賀屋敷の跡地にあった野原で子供がつむじ風に巻かれ、その背中に一面にイタチのような獣の足跡が残されていたとの記述がある 尾張藩士・三好想山の随筆『想山著聞奇集』によれば、かまいたちでできた傷は最初は痛みも出血もないが、後に激痛と大出血を生じ、傷口から骨が見えることもあり、稀にだが死に至る危険性すらあるという。この傷は下半身に負うことが多いため、かまいたちは1尺(約30センチメートル)ほどしか飛び上がれないとの記述もある。また同じく三好想山によれば水中に棲むものもおり、四谷御門内のくぼみが雨上がりで水溜りとなったところで遊んでいた子供や、麻布古川を渡っているものがかまいたちに遭ったという。 北陸地方の奇談集『北越奇談』では、かまいたちは鬼神の刃に触れたためにできる傷とされている。 天野信景は随筆『塩尻』巻五十二で、中国でいうシイがかまいたちにあたるとしている。
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