江戸時代の指詰め
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 06:38 UTC 版)
詳細は「心中#心中立」を参照 古来から誓約の証として自身の体を傷つける行為が行われており、その行為の中に指詰めも見られた。 誓いだてに指を切らせた例として、井原西鶴の「武道伝来記」で泉川修理大夫が妻の不倫を疑い、「密夫なければ諸神誓文に五つの指を自ら離せ」といって、裸にし、指を断たせたことが見える。また吉原遊女が常連客に「一途であること」を示すために自分の小指を切って送ることがあった。ただしこの際に新粉(しんこ、米粉の餅)細工の作り物や、首切り役人から死体の指を調達して自分の指として送る例も見られた。売れっ子の花魁はその行為は「粋ではない」とし、「離れるなら離れればいい。身請けされる時にみっともない。」と決して行わなかった。身請けをされる見込みがない遊女は逆に必死になり、間男や惚れた男に誓いを立てていた。
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