永持享次郎穀明(ながもちこうじろうよしあき)1826–1864
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1844年、「学門吟味」に合格。永持の専門分野は言語と海軍防衛。 1849年2月16日、目付となる。 1853年、ロシア船「ディアナ」下田港入津のため伊豆相模を偵察。 1854年、オランダから寄贈された「観光丸」の船長候補の一人として勝海舟らと長崎に転勤。 1855年、長崎奉行所の吟味役となる。奉行所内に英語学校を設立。 1855年10月、ロシアの提督プチャーチンを訪問し、追加の交渉を行い日露通商条約の条項を締結に携わる。 長崎製鉄所の建設が始まり庶務会計を主宰。 1857年、長崎奉行支配吟味役となる。長崎出島を訪問し、オランダ商館長クルチウスから広東戦争の詳細を聞き、長崎奉行に報告。 1860年4月、ロシア艦が対馬国尾崎浦に入ったため偵察。 1860年5月長崎奉行支配組頭として、対馬占領を目ろむロシアのポサドニック艦長ビリレフと交渉し退去させる。 1863年、御徒頭過人兼外国御用出役頭取締となる。 1864年、別手組200人及び附属役等合計212人を率いて上洛、禁裏警守。
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