水力運用の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:05 UTC 版)
「アンダートン船舶昇降機」の記事における「水力運用の問題」の解説
始めの五年間はうまく運用した。最も長い閉鎖は寒冷にて運河が凍結したときであった。しかし、1852年にひとつの鋳鉄筒が運河の高さで船が居る時に爆発した。函は迅速に下降したが、幸いなことに爆発した芯棒から流れ出る水が下降速度を遅らせ、水のある河の高さの渠が衝撃を和らげた。怪我人は無く、上部構造は壊れなかった。引き続いた試験で、他方の筒も不全であり半年に亘り閉鎖され、筒の部分と関連していると考えられた接続筒が再設計され、取り替えられた。1880年から1890年にわたり、交通量は増加したが、水力筒の問題が続いた。芯棒が筒に沿い動く部分は一方が1887年に一時的に改修され、1891年に交換された。他方は1894年に交換された。しかし、主たる心配は、芯棒の崩壊であった。運河の水を駆動用にと下部渠に用い、それに芯棒が浸っていることにより、崩壊し溝ができた。銅にてこの溝を補修する試みは、事態を悪化させた。銅は、酸性の運河の水と電気化学的に反応し周囲の鉄の崩壊を進めた。1897年より蒸留水に変更されたが、崩壊速度は遅くなったが進むことを止めなかった。その後数年間、維持と補修の頻度は増した。各回、数週間の閉鎖を要し、一つの函のみでゆっくり運用した。
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